おすすめ書籍の紹介


 音楽ならモーツァルトとビートルズと間髪をいれずに答えますが、建築ならこのフランクロイドライトが私のお気に入りです。それも二位以下を引き離し、断トツの一位です。
 そのフランクロイドライトの、というより19世紀建築の最高傑作がこのタリアセンとフォーリングウォーター(落水荘)だと思います。
 タリアセンはライトのアトリエです。つまりこの建物の施主はライト本人ですので、ライトが心置きなく自分のイメージだけを膨らませて設計した建物であると言うことができるでしょう。
 20世紀の前半に作られた建物とはとても思えません。21世紀の今見ても十分に新しいのです。
 コンクリートと鉄、ガラス中心のモダン建築が一段落し、石や木などの自然素材が再び見直されている今、そう言う意味でもライトの建築は見所に溢れています。
 このタリアセンには石がふんだんに使用されていますが、これらの石は特別な石ではなくタリアセンがあるアリゾナの荒野に転がっているありふれた石なのです。それらの石がライトの手にかかるとにわかに息づき、芸術的な表情を見せるのです。
 自由自在。一言で言うとこれです。何ものにもこだわらない、ライトの自由な精神が、伸びやかで心地よい空間を作り上げています。

タリアセンウェスト
タリアセン




 ちひろの絵と呟きにも似た短い文章だけで構成された絵本です。
 それだけなのに、強い反戦のメッセージが見るものの心に迫ってきます。
 自分の戦争の体験を下敷きに、ベトナムをはじめとする世界中で戦争の被害者となっている子どもたちに思いをはせ、 胸を締め付けられ、いてもたってもいられなくなってこの絵本を描いたちひろの心が直接伝わってくるのです。
 今もイラクをはじめ世界中で子どもたちが戦争の犠牲になっています。母を失い、父を失い、兄弟を失い、友達を失い、 自分の手足を失い、ついには命を落としているのです。
 ニュースでは淡々と戦争の報道をしています。しかしそのニュース一つ一つの向こう側にこういう子どもたちがいるのだという 想像力を失っては人間でいる価値がありません。それをこの本は思い出させてくれます。
 そのほかのちひろの絵本も読んでみたい方のために、いわさきちひろ全体のページも載せておきます。

戦火のなかの子どもたち
いわさきちひろ全書籍





 これほどの名著なのにアマゾンコムには表紙写真が3書ともありません。同じく3書ともほとんど古書しかありません。 3書の書名で検索してみてください。たくさんの人がその内容について解説しています。それが名著である証拠です。
 アルビントフラーの「未来の衝撃」は環境やエネルギー、産業構造に関わる人類の危機を最初に提示した書です。36年も前に 書かれたにも関わらず全く古さを感じません。見事に今の世界の危機を予言しています。遡ってなぜこうなってしまったのかの解答が イデオロギー抜きで語られています。環境、エネルギーなどについて考える上での必読書です。
 ついでに同じくアルビントフラーの「第三の波」も紹介します。未来に悲観的だったトフラーが、一転して明るい未来像について語っています。 「未来の衝撃」の11年後です。当時「未来の衝撃」の続編だと期待して読んだ私は逆の衝撃を受けました。コンピューターの将来性と、 それが作り出す未来像についての書です。これも見事に今を予言しています。この本のおかげで私はパソコンの基本的な知識が ほとんどないにもかかわらず、コンピューターが作り出す新しい生活イメージに悠々と当然の話としてついていくことができました。 また、「未来の衝撃」との関連性においてはこの書で、人類破滅への道を回避するヒントを述べています。
 ジェレミー・リフキンの「エントロピーの法則」は、物理学の熱力学の第3法則を引用して、成長しようとする人の欲望に警鐘を鳴らしています。 「第三の波」の8年後の出版です。当時この本を読み終えた人は二つのタイプに別れました。感動して未来に希望を持った人と、 逆に怒ってこんな話は嘘だと言う人にです。私は前者でした。以来私は経済を含め量的に成長する努力を放棄しました。 エコロジー、特にスローライフに共感する人は必読書です。というより最初のスローライフの提唱者です。もちろん当時、スローライフという言葉はありませんでしたが。
 こう書いてきて、仏教やキリスト教、ヨガなどの宗教や小説、進化論、生物論、現代物理学など以外で私が大きな影響を受けた本があった事を再認識しました。

未来の衝撃(単行本)
未来の衝撃 (文庫)
第三の波(単行本)
第三の波 (文庫)
エントロピーの法則―地球の環境破壊を救う英知 (単行本)




 連合赤軍の浅間山荘事件を皮切りに、妙義山の連続リンチ殺人事件、連続企業爆破事件、 交番襲撃事件など当時の事件を丹念に辿るドキュメントです。
 事件だけではなく、重信房子、 永田洋子、森恒雄、坂東国男など主な登場人物の生い立ちから犯行に至るまでの経緯も 細かく取材しています。
 また、70年安保で新聞紙上をにぎわせたさまざまな新左翼のセクト、ブント、社青同、社学同、 革共同革マル派、革共同中核派、第4インター、そして京浜安保共闘、 日本赤軍、連合赤軍などがどのような状況で離合集散を繰り返した結果生まれたかについても 説明されています。
 書名は連合赤軍事件ですが、内容は戦後学生運動全体の歴史についての本だと言うことも できるでしょう。
 あの時代を経験した人たちにとっては再びそのころを思い起こし、現在の自分を見つめ なおすために、あの時代を知らない人にとっては、良し悪しは別にして日本にも熱い時代が あったのだと言うことを知るために読んでみることをおすすめします。

赤い雪―総括・連合赤軍事件




 少女漫画界3巨匠の男性同性愛をテーマにした長編漫画です。  まず、『日出処の天子』(ひいずるところのてんし)の山岸涼子ですが、 『アラベスク』『舞姫(テレプシコーラ)』などの作品が知られています。この『日出処の天子』 も代表作の一つと言って良いでしょう。
 聖徳太子と蘇我の毛人(蝦夷:えみし)との同性愛をテーマとした不思議な物語です。 ここでは聖徳太子が霊能力者としても描かれています。心地よい漫画です。
 『風と木の詩』の竹宮惠子は『地球へ』(テラへ)『私を月まで連れてって』などが代表作です。
 悪魔的で退廃的な生活を送る少年とその正反対の少年との同性愛物語です。 二人の孤独と誇りがぶつかり合い、青春の光と影が鮮烈に描かれています。二人以外にも 風変わりで尋常ではない人物が、明るく屈託なく登場します。
 『残酷な神が支配する』の萩尾望都は少女漫画界の手塚治虫と言っても良い、巨匠中の巨匠です。 『ポーの一族』『トーマの心臓』『マージナル』『11人いる』『百億の昼と千億の夜』など 作品名を挙げ始めればきりがありません。
 この作品はその萩尾望都の作品としては異色のものといってよいのではないでしょうか。 主人公の少年は母親の再婚者から性的な暴力を受け続けます。
 とにかく賛否様々な感想があるでしょうが、まずは目を通してみてください。

日出処の天子 : 山岸涼子
風と木の詩 : 竹宮恵子
残酷な神が支配する : 萩尾望都




 著者の藤原正彦氏は数学者でありながら文明、文化、歴史にかかわる広い知識を持っています。
 今の日本が真に必要なのは論理による問題の解決や、欧米から輸入した自由、平等、博愛の理念でもなく、 日本が古来から持っていた「情緒と形」「武士道精神」だと言い切ります。
 論理と合理性頼みの改革では社会の荒廃を食い止めることはできない、今の日本に必要なのは 論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神だというのです。
 社会の荒廃は日本に限ったことではありません。全ての先進国でそれは進行しています。その原因は 近代のあらゆるイデオロギーの根幹を為す、「近代的合理精神」が限界に至ったことの現われでもあり ます。日本の古くからの精神や智慧を、日本国内だけではなく世界に向けて発信することで世界の 閉塞状況を打破する義務を日本人は負うべきであると氏は強調しています。
 現代の日本人必読の本です。また、この本が今、ベストセラーになるところにまだまだ日本の可能性を感じます。

国家の品格




 左側の『お守り般若心経』が私が最初に手にした般若心経です。 本というより屏風のようにたたまれています。 心経についての簡単な解説、写経の方法などについての記述もあります。
 右が柳沢桂子氏の『生きて死ぬ智慧』です。
 下の上から三番目の『十牛禅図―般若心経の「空」の心を知るための絵物語』 の著者松原哲明氏は、禅宗の僧侶でNHKの番組では柳沢桂子氏と対談をしています。 NHK教育テレビで般若心経の講座の講師も勤めています。広範な仏教知識の持ち主です。
 四番目も般若心経の解説本ですが、お経のCDが付いてます。 最初は唱えようとしてもリズムや抑揚が分からず戸惑いますが、CDがあれば解決します。
 最後はダライラマが語る般若心経です。外国にもあるのか、 と思う人もいるかもしれませんが、玄奘(三蔵法師)が天竺(インド)に渡る際、 危機が訪れるたびに唱えて難を逃れたお経がこの般若心経だったのです。 当然、チベットにも残っています。

お守り般若心経
生きて死ぬ智慧
十牛禅図―般若心経の「空」の心を知るための絵物語
ポケット般若心経 講談社の実用Book (大本山読経CD付き)
ダライ・ラマの般若心経 PHOTO BOOK & DVD




 アマゾンコムには70種類余りの聖書が登録されていました。どれを推薦しようかとずいぶん迷ったのですが、結局御自分で選んでいただくことにしました。
 とは言うものの、写真が全くないのも寂しいのでミケランジェロの絵を載せて見ました。
いかがでしょうか。
 アダムが生まれた瞬間です。アダムは赤ちゃんではなく、大人の姿で生まれてきたと、ミケランジェロは解釈したと見えます。最初の人類ですから乳をやる母親もいないことになります。だとしたら大人で生まれざるを得ないのかもしれません。

amazon.co.jp の聖書(バイブル)紹介ページ




 東洋的なものの考え方と西欧のそれの違いがこれほどはっきり理解できる本はありません。著者も中でそれを語っています。
 東洋的な考え方は学問としては成立しにくい部分ももちろんあります。メールマガジンにも書いたとおり、演繹的な考え方が根底にないからです。その点で今西錦司は常に批判の矢面に立たされてきました。つまり、理論として正確には完結していないのです。
 とは言うものの、学問そのものの定義が揺らぎ始めている、つまり演繹だけで語り続けるうちに演繹が理論で演繹を否定してしまうような事態が発生し、それが理論的に完結しない理論の可能性を高める結果になっていると言う背景もあります。
 今西は批判されても批判されても自分の理論を曲げることはありませんでした。彼に言わせれば理論がどうであろうと、どう考えても彼の直感で語られる進化以外の進化はありえなかったからでしょう。
 そのかたくなな姿勢と、前述の学問の枠組みの変化や広がりが、彼の復権を促しました。現在彼の理論は、不思議で謎に満ちた奥深い考え方として、消し去る事のできない特別な位置に、市民権を得て置かれています。
 この本はイギリス古生物学の権威で保守的ダーウィン主義者であるホールステッド博士による、海外からは初めての「今西進化論」批判です。つまり水と油の激突がこの本であると言うことができるでしょう。しかしそこには奇妙な相互理解も見え隠れします。
 今西錦司博士との会見記と英科学誌「Nature」で展開された今西進化論をめぐる論争も巻末に収録されています。
「今西進化論」批判の旅




 このSF小説は東洋思想とは全く関係ありません。純粋にキリスト教、それも新約聖書を背景とした物語です。もっともほとんどの日本人がこういう予備知識なしに読めば、キリストの物語だと言うことにすら気付かないかもしれませんが。
 また、この本ほど若者の文化に影響を与えた本もないでしょう。ヒッピーの聖書と呼ばれ、フリーセックスやカルト、サイケデリック、ドラッグ、同性愛など様々なサブカルチャーを生み出しました。いい意味でも悪い意味でもこの本なくして現代アメリカは有り得ないと言っても良いほどです。その社会、文化への影響はフロイトやビートルズにも匹敵するでしょう。
 人がその存在の根底にまで遡って深く思考する時、西欧ではどのようなスタイルを取るか、という疑問にもこの本はヒントを与えてくれます。
 東洋のように自己の内部や森羅万象からのささやき声に耳をすませるのではなく、あくまで神の創造した、あるがままの姿であろうとするのです。思考はおのずとあるがままの姿で生きるとはどういう生き方か、という方向に向きます。
 当時海の向こうから次々に送られて来た新しい文化が、当時思われていたようにモラルの低下その他精神の堕落から起こったのではなく、真摯な思想がその背景にあったのだと言うことが分かります。
異星の客




 コリンウィルソンは現代イギリス最高の頭脳と言われていますが、正式な教育は受けてはおらず、土管に住みながらひたすら図書館に通いつめ、膨大な知識を獲得したと言う逸話を持っています。
 コリンウィルソンの作品としては、この『賢者の石』よりは『アウトサイダー』の方が一般に良く知られているかもしれませんが、私のおすすめは絶対にこちらです。
 不老不死やタイムマシンというお馴染みのテーマを、それまでとは全く異なった切り口で追求します。人の脳の秘められた働きや可能性、神秘性についてあらためて考え込ませると同時に、存在そのものの意味をも考え直さざるを得ない気にさせます。
 重要なことはこの本がフィクションとして読者をその気にさせるべく計算されて書かれているのではなく、コリンウィルソン自身がこういうことがあり得ると信じ込んで書いている節があると言うことです。ただの人ではなく、イギリス最高の頭脳の持ち主が考え抜いた上で見抜いた世界像ですから、実は本当にそうなのかもしれません。もしそうなら人間の存在の意味は大きく変わることでしょう。
 30年以上以前に書かれた本ですが、その思想は今なお全く古めかしくはなく、大きな問題を提起し続けています。
賢者の石




 ミヒャエルユンデは人が本来持っていたはずの生き生きとした感情や感性、愛や夢を失い、ひたすら利益や権力を求め続ける現代人の風潮を、童話やファンタジーの力を借りて徹底的に批判します。
 童話の世界で利益のみを追い求める人物の元祖は、モームの『クリスマスキャロル』に登場するスクルージでしょうが、ユンデのファンタジーに於けるそれらの人物像は、抽象的であるが故に特定の誰かではなく、すべての現代人の内部に眠っている冷酷さがあぶりだされるようで、逆に強烈なリアリティーを感じます。そこが子供ばかりではなく、大人にも多く親しまれている理由でしょう。
 思想的な背景は神智学ですが、この神智学という思想がまた難物で、手放しで礼賛できないような気もします。そのもやもやについてはいつか分析してみたいと思っています。
はてしない物語
モモ



 

 ライアルワトソンの代表的な著作です。  かれは自らの専門分野に留まらず、生命に関する様々な研究をする友人や知人からの情報を彼の視点で語ります。研究途上のものもあり、情報が錯綜している部分もあるので、後に多くの批判を生むことにもなりますが、現在のDNA主導の生命学、言い換えれば物質の成り立ちから見た生命感を覆そうとする意欲は十分に買う事ができます。
 生物学というジャンルを離れても、科学という手法には様々な考え方、観察の仕方、とらえ方があるのだと言うことがストレ−トに伝わってきます。ある種の思考実験の訓練にもなるのではないでしょうか。
 内容はそれこそ多岐にわたり、生物的情報:ミームの存在についての話から、有名な100匹目のサルの話、遺伝情報を媒介するウィルスの役割、最後にはユングの集団的無意識をもとにしたUFO存在の解明にまで及びます。
 断っておきますが、読破するのにはちょっとした努力が必要です。しかし、最初の4分の1を乗り越えたら後は怒涛のごとく読めると思います。つまり最初の部分がちょっととっつきにくいのです。そして最後まで読みきった時点で、ちょっとした人生観の変化があるかもしれません。
 
生命潮流


 

 道教(タオ:TAO)は近年になって構造主義との共通点を指摘されるなど、現在もっとも注目されている古代中国思想です。
 全体から部分へと至る東洋思想の根本を理論の中心に置いています。しかしその思想体系は茫漠として広く、そのスケールの大きさゆえに全体を把握し理解する事は困難を極めます。むしろ難解な詩を鑑賞するような気分で接するのが正解なのかもしれません。
 とは言うものの我々日本人にとってはそこから伝わってくる雰囲気に違和感はありません。どこか懐かしささえ感じるほどです。
 この本はその入門中の入門とでも言える本です。思想の内容よりはその位置づけについて語られた本である、と言ったほうがいいかもしれません。しかも著者がアメリカ人ですから思い違いの部分も多々見られます。よってこの本で道教の真髄に触れることは難しいでしょう。
 それよりもむしろ、欧米人が東洋思想に出会うときそれをどう解釈するか、の方にこそ興味が湧きます。そう言う意味ではたいへん興味深い本です。思い違いや間違った解釈の中に東と西の文化の違いが際立ちます。
 原書ですので文は英語ですが、子供を対象として書かれているので難しくはありません。

THE TAO OF POOH




 科学を語った詐欺まがいの商売が蔓延していることに危機感を持ったアメリカの物理学者が書いた本です。思い当たることがたくさんあり、思わずため息が出てきます。
 今、かつてないほどネットワークビジネス、いわゆるねずみ講が蔓延しています。その ネットワークが扱うほとんどの商品に科学的、と称される説明がなされています。どこか の大学の教授が登場する事も共通しています。
 それらに頻繁に登場するキーワードは『活性酸素』『電磁波』『波動』『マイナスイオン』『光触媒』『免疫力』などです。どの言葉も先端の科学と密接に関連しているような印象があります。
 しかし、その説明を読んだり聞いたりしてみますと、主張している者に基本的な知識が 欠落しているのではないかというものばかりです。勧誘している本人も頭からその内容を信じ込んでいるのです。
 ほとんどの人は自分はそんないい加減な説明には絶対にだまされない、と思っているこ とでしょう。しかし、参加者を見てみると科学とは全く無縁な生活をしてきた人たちに混 ざり、知的水準の高い人たちが意外にも多いのです。そういう人たちは科学を信奉するあ まり、科学風な説明を聞くところっと信じてしまうようなところが見受けられます。
 胡散臭いものが全くない社会ほど味気ない社会はないでしょう。しかし、それがここま で増えてくると異常だと言わざるを得ません。胡散臭さは一部の変わり者の専売特許だっ たのに、今は一見まともな常識人が平気でそういう世界に踏込んでいくのです。
 そのメカニズムの一端をこの本で理解する事ができます。

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか




 一時、話題になったのでご存知の方も多いかもしれませんが、この物語はドキュメンタリーです。
 児童心理学者の著者のところに4歳の少年を木に縛り付けて火をつけた6歳のシーラと いう少女が送られてきます。
 その少女との交流の日々を日記風につづったのがこの本です。そう聞くと教育の本かと 思う方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
 高速道路で車から突き落とされて母親に捨てられ、日常的に数々の虐待を受け、麻薬と 酒まみれの父親が服役中、何人もの里親にたらいまわしにされてきたシーラが、愛を切望する故に徹底的に愛を拒絶する姿の中に、人間としての尊厳を感じるのです。
 つんつるてんのオーバーオールを着て、くしゃくしゃの髪、何日も風呂には行っていな いアカだらけの身体で、小さなこぶしを握り締めて前髪の間から獣のように周囲の人々を 睨みつけるその姿は、誰にも愛されず、誰にも必要とされなくても自分はここにいる、人 間としてここにいると言う、彼女に唯一許された手段での自己アピールなのです。その後 のシーラの一言一言の魂の叫びは、幼くして極限を経験し、懸命にそこから納得できる意 味を見出そうとした6歳の少女の言葉として、あまりに正しく、あまりに切なく、読む人 の胸を打ちます。
 是非一度読んでみることをおすすめします。

シーラという子




 上記、『シーラという子』の続編がこの本です。
 題名は『タイガーと呼ばれた子』、著者はもちろん同じトニイ・ヘイデンです。
 『シーラという子』は多くの国で翻訳され、世界中から著者のもとへ、その後シーラはどうなったのかという手紙が数限りなく舞い込んだそうです。読んでみれば分かりますが、読んだ人はみな、そう思うのではないかと思います。もちろん私もシーラのその後を痛切に知りたいと思いました。
 しかし著者はそれをかたくなに拒否してきました。今回の『タイガーと呼ばれた子』を 読んで見ますと、なぜ著者が続編を書かなかったかが分かるような気もします。
 思春期を迎えたシーラが、抱えた問題の大きさの前で懸命に模索する姿がとてもよく描 かれています。その本質は、けなげさも純粋さもひたむきさも6歳のころのシーラと全く変わるところがありません。
 この本の価値は、過剰な体験をした一女性の物語という一面を離れ、人間の尊厳、存在理由、そしてそれらに対する祈りのようなものを痛烈に感じさせるところにあります。シーラの生き方を通して私たち自身が自分の生き方を問われているように思えてくるのです。
 また、『シーラという子』にも言えることですが、問題に当たって人間同士のコミュニケーションのあり方の、日本とアメリカの違いにも驚かされます。

タイガーと呼ばれた子


HOME

[PR]動画